お客様さまからの「ご不満の声」に対してどのように対処するか。
それも添乗員の腕の見せ所のひとつである。わたしはツアー後にアンケートなどでグチグチ言われる「やり場のないご不満」に対してはあまり気にしないけど、その場で表明されるご不満に対してはしっかりと耳を傾けるようにしている。
その場で声を挙げる勇気にまずは敬意を表したいのだ。
中には頭の中にクエッションマークがいくつも浮かぶものもあるが、だいたいのご不満の表明が「なるほど、そうきたか」と思えるもので溢れている。
とある山梨を巡るバスツアー。立ち寄り所である日本三奇橋の一つである猿橋を訪れたとき、とあるご夫妻(以後A夫妻)がわたしに声をかけてきた。
「添乗員さん!」
このひとことはギャンブルである。「暑いでしょう?冷たいコーヒーでも飲んで」という差し入れの声かけに始まり「トイレどこ」「喫煙所どこ」のときもあれば、「ご不満の表明」のときもある。「添乗員さん!」このひとことに毎度毎度びくついているのだ。
この時のA夫妻はご不満の表明であった。何かと思ってお話しを聞いてみると「後ろの席の方がずーっと話をしていてうるさいのよ」とのこと。そうか。確かにあのおしゃべりペア、少し声が響いていたかな。けれど楽しいバス旅行での話。久しぶりに会った友人同士、話に花を咲かせているのかもしれないしな。
わたしのいいところでもあり悪いところは、片方に肩入れし過ぎずどちらの気持ちにもなって考えてあげられるところである。
「分かりました!では少し対応してみますね」
こういう時の対応。コッチを立てればアッチが立たず、という状況だけは避けなければならない。少ない経験からわたしが考え抜いた答えが「全体にアナウンスする」ということだった。
そうすればA夫妻は「あ、この添乗員さんは不満を受け止めて対応してくれた」と思うし、例のおしゃべりペアは誰のことだか分かんないけど、少しは自粛するであろう。自分たちのことかも、と日本人らしく察してくれるかもしれない。
というわけで、バス車内に戻り出発の際「みなさま、本日は早朝よりお集まりいただいております。お休みになりたい方もいらっしゃると思いますので、お話しいただくときは周りの方へのご配慮をお願いいたしまーす」あっけらかんと言ってのけた。
あくまで添乗員の意思で言っているんです。わたしはA夫妻にウインクを送り、なんとかこの場を収めたのだった。
それから順調にツアーは流れ、最後の立ち寄り所である酒蔵での出来事。さっきとは別のご夫妻(以後B夫妻)から「添乗員さん!」の声がかかった。
まただ!
これはどの「添乗員さん」だろう。お話しを伺ってみると、またしても「ご不満の表明」であった。
「後ろの席の旦那さんがずーっと咳をしてるんだけど!奥さんはマスクするように言ってるみたいだけど、聞く耳持たないみたい。何かあったらお宅の会社の責任だからねっ」
おーこわいこわい。世はコロナ禍は過ぎていてマスクも任意着用の時代である。いくらお客さまの安全管理が業務の一つである添乗員でもマスク着用を強制することなどできっこない。
これはどうしたものか。
確かにB夫妻の後ろの席の旦那さまは、痰が絡んだかのような、不気味な咳をしているが、正直その方は、このバスツアー参加者の中で最高齢の御年88歳!悪いけど、もし変な病気なら既に〇んでいると思うわけ。絶対コロナじゃないし、普通に持病の咳にしか思えないんだけど…と思いながら改めてそのご夫妻を見たらなんと先ほどおしゃべりがうるさいとご不満を表明されたA夫妻ではないか。A夫妻の旦那が気味の悪い咳をしているのである。
これはもうもらった!
バスに全員揃うと、私は堂々とA夫妻に近づきB夫妻に聞こえるように「旦那さま、お咳大丈夫ですか?良ければマスクありますけど、どうします?」A夫妻は、先ほど自分たちが不満を表明し、対応してもらったこともあり、おとなしくマスクを着けたのである。仮にマスクを着けたとしても菌は通過すると思うけど、それでB夫妻が満足するならこの場はOKであろう。
何とか2件のご不満の表明を片付け帰路につくことができたのだった。当然その後コロナにかかったなどの悪い報告は上がってきていない。
不満を言う人は、言われる人。ひと様にやさしく、大きな心で過ごしたいものである。